宗教や価値観

昨日、50人のサウジアラビアからの留学生が卒業していった。彼らの年齢はなんと16歳の高校生!!ワカッ!!私と12歳も違う彼ら。私のクラスには何と6人のアラビアンボーイがいた。他にも中国人の16歳の高校生がいた。アラビアンボーイたちはなかなかクラスで困りもので、何故かというと彼らだけでかたまり、授業中にもアラビックを話しまくること。まぁ16歳だししょうがないかなぁとも思うけれど、どうしてもクラスのみんなとグループになって回答を出したり、議論したりすることができない人が多かった。モハメッドという名前のクラスメートが4人いて、その内一人は途中から名前をMSNに変えていた。先生が「モハメッド」と呼ぶと、みんなが「YES」と言ってから、どのモハメッド?となるからだ。MSNは考え方が大人で他の国籍のクラスメートたちともよく交流していた。そして彼は日本文化が大好きで、課題で日本文化を調べてレポートを書いたことがあるそうだ。私が茶道や華道の写真を持って行き見せると大喜びだった。


10階には「PRAY ROOM」と書かれたお祈りの小さな部屋が二つあり中には小さな絨毯がひかれてある。いつもその前を通過して教室に向かうのだが、何気なくふと目をやると、ドアの小窓からクラスメートが膝をついてお祈りしている姿を目の当たりにした。これは私にとって衝撃的だった。ちらりと見た彼の顔はいつものクラスで見せる顔とは全然違って見えたし、今まで自分の友人の中で敬虔な信者(全ての宗教に置いて)がいなかったこともあり、祈りを捧げるという行為自身が非常に特別なものとして映った。ある日はその部屋の前を通り過ぎる時、トルコ人の友人が出てきて、「あれ?お祈りをしてたの?」と私がビックリして聴くと「そうだよ、僕はムスリムだから」と言っていた。現在私の学校にはサウジアラビアオマーンなどの中東の生徒が沢山いるため、PRAY ROOMはフル稼働だ。普段やんちゃで、先生の話を聞かなかったり、卓球に熱中していたり(食堂に卓球台があるのだが、アラビアンボーイたちは大好きなのだ)する彼らだが、毎日お祈りは絶対に欠かさない。彼らの中で「祈る」という行為は特別なものであり、かつ生活の一部なのだなぁと実感した。


ある日の授業で様々な価値観についてのトピックがあった。「〜ism」という単語が沢山並べられており、それぞれに対して全員がどう思うか議論したのだが、これが非常に面白かった。「atheism=無神論」の所では私と中国人のWanを除く全員が「NO〜!!!!!」と力強く答えていた。国籍を問わず。私は頭の中で「みんな神を信じているけれど違う神なんだよなぁ」と思って非常に興味津々だった。私と同じく無神論者のWanとは一度ゆっくり話してみたいものだ。私が無神論者だという事を聞きムスリムのMSMが「nekosiroは神を信じていないの?じゃあ、もし病気になっても神に祈らないって事?」と不思議そうに聴いてきた。「だって神は私の病気を治してはくれないでしょ。」と答えたが、もちろん敬虔なムスリムのクラスメートたちは納得せず不思議そうな顔をしている人もいた。もっとムスリムの考え方を深く知りたいなぁと思った。ブラジル人のMarceloがアラビアンボーイたちに君たちの神はJesus Christなのか?と聞き、彼らは「ムハンマド(モハメット)だ」と答え、神をどう信じているのかなどという話になった。宗教の話題になるといつもそうなのだが、私は宗教用語や宗教の儀式の名前を知らないので、よく理解できないことが多い。しかしとても興味深い分野だ。
「exorcism=悪魔払い」はもちろん私とWarを除いて全員「YES!」他には「capitalism=資本主義」「comunism=共産主義」なども出てきたが、これは信じるか信じないかの問題ではなくて、一つの経済体制のあり方であり、社会進歩の一過程であり、信じるか信じないかの問題ではないと私は主張した。「terrorism=テロリズム」ではアラビアンボーイたちが非常に反応していた。もちろん彼らは反対だが、私よりもはるかに彼らがテロを身近に感じていることを実感した。「sexism」という単語で私とVivian、Marceloは「sex(性交)至上主義者だねきっと」と話していたら、全然違い「性差別」のことだった。これには3人で大笑い。


ある日、クラスメートのコロンビア人のNataliaが休憩時間に「nekosiroは宗教を持っている?」と聴いてきたことがあった。私が持っていないと話すと「じゃあ神を信じていないと言うこと?」と聞いてきたので、私は神を信じていないし、人間が死んだら無になると思うと言うようなことを話した。彼女はすごく驚きつつも、自分はカトリックで詩の世界についてや現在についてこう考えていると色々話してくれた。私も自分の考えを述べた。彼女は「私はnekosiroの考え方を尊重する」と言った。私も「私たちは違う考え方だけど、私もあなたの意見を尊重するし、宗教を信じる自由を守っていきたいと思っている」と話した。


もっともっと他の国の文化や宗教を知りたいと強く思う。