母の日

5月13日は母の日だった。
私は母に電話をしようとしたが、かなわず。
母には大きな感謝をしている。
まずは私を産んでくれたこと。
そして私を育ててくれたこと。
一緒に生きてきてくれたこと。
昔はそれが当たり前のように思っていたけれど、結婚して自分が家庭を持って母への思いが変化してきたと思う。
また、父の末期癌、死が私と母の関係を更に深めたと思う。
とてつもなく辛く悲しい経験だけれど、私と母の絆は深まったと私は思っている。
母がどう思っているかはわからないが。
自分が経済的にも精神的にも母から自立して、対等な関係で話が出来るようにもなったと思う。これもまた母がどう思っているかは分からないが。


オーストラリアでは母の日はかなり重要な日だ。多くの男友達が「今日は母の日だから、お母さんに会いに行って食事をするんだ」と言っていたのには驚いた。何かものを送るというよりも、会いに行って一緒に食事をすると言うのが大切のようだ。とても素敵な文化だなぁと思う。
一方我が家でも母の日が行われた。11歳のLoxiと5歳のRudyがとても素敵なお皿のセットにチョコレートを詰めてプレゼントしていた。台所に行くとRudyがなにやら真剣に取り組んでいるので覗くとキュウリを切っていた。母の日だからお手伝いしているらしい。とても微笑ましかった。二人にお皿がすごくCOOLだねと褒めると、チョコレートもだよ!!とわざわざ見せてくれた。中国のだよと言うので見てみると、一つだけ日本の大福のミニバージョンがあった。日本語で”※△餅 おいしい”と書いてあったので「これ日本のだよ」と言うとウソーとビックリ。しかし裏を見ると中国語表記だった。「あ、ごめん、やっぱり中国製だわ〜」と言うと母親のLizzilが「オーストラリアの全てmade in Chainaよ〜」と豪快に笑った。3人で和気藹々とご飯を作る姿を見て、やはり母に電話したいなぁと思うが、果たせず。しかし、将来こんな風な母の日を迎えたいなぁと思った。自分が母に対して感謝すると同時に、自分の子どもからも感謝されるような親子関係を築きたいなぁと、まだ子どももいないのに考えてみたりして。


母の日だけでなく、母には心からの感謝を常に送りたい。
今の自分の人格を形成している大部分が子どもの時期に作られたと思う。
今、お互いに一人一人の人間として対等に付き合っていけたらいいなぁと思う。
と言っても、やはり、母にとって見たら子どもは子どもだろうから、心配は尽きないのかも知れないが。
さて、このブログを母が読む前に母と電話できるといいのだが。
今、退職して新しいことに次々と取り組んでいる母。
その姿には励まされる。いつでも、やりたい、挑戦したいと思った時が出発点で遅い早いは無いんだなぁと思わされる。
新しいことに挑戦している母を尊敬する。
母にはいつまでも健康で、魅力的であって欲しい。
そして孫の世話を見て欲しい(笑)


生命を生み出す母親の機能は素晴らしい。
世界の全ての母親に大きな感謝を。
そして、私の母に心からの感謝をもう一度。
ありがとう、お母さん。
そしてこれからもよろしく。