眠れない夜に…

オーストラリアに来てから初めての眠れない夜。別に何かを考えて眠れなくなったわけではなくて、疲れた体をベットに横たわらせていつもと同じように寝入ろうとしたが、眠れない。ふと気付くと2時間が経過していた。そこまで来ると色々考え出す。自分の性格について、自分が今までしてきたことについて…眠れない夜は大抵良い考えなど思いつかない。
2時間眠れないとほとんどの場合朝の6時まで眠れないとわかっている。なので本を読むことにした。軽い推理小説なんかが適していたのだけれど、留学エージェントから借りてきた3冊のうち一冊の小説は既に読み終わり、もう一冊はガイドブック、そして読み差しの本が家田荘子さんのルポだった。私は海外に長くいても日本食が恋しくなることはあまりないし、ホームシックにもあまりならない。日本語が強烈に話したいという欲求もあまり生まれない。しかし何故か日本語の活字に飢えるのだった。アジアを2ヶ月旅した時も後半、日本人バックパッカーズで古本を買ったものだ。


家田荘子さんは「極道の妻たち」を書いた人だと後から知った。「極道の…」にはあまり良い印象を抱いていなかったので、少し驚いた。「私を抱いて そして キスして〜エイズ患者と過ごした一年の壮絶記録」は彼女がアメリカでエイズのホームナースの資格を得て、エイズ患者に、エイズに向き合っていくルポだ。全体としてとても心に残る物で、エイズについても多くの人に知ってもらいたいので、是非読んでみて欲しい。文春文庫だ。
半分くらいまで読み差していた本を読み始め、途中で少し眠くなってきたのだが、本の内容が私を離さなかった。そう、最後に行くにつれて彼女の友人のエイズ患者たちが死へ向かっていく課程がリアルに描写されているのだ。
ジミーという友人のエイズ患者はゲイでケンという、それまで10年間一緒に暮らした彼と一緒に生活していた。エイズと分かると患者の周りからは家族・恋人・友人ほとんどが離れていってしまうという。ケンは離れなかった。しかし最初のうち近所に買い物に行くと言っては4時間帰ってこなかったり、庭でずっとボウッとしていたりそんなことが続いたらしい。ケンは後からこんなことを述べている。一緒にいたい。でも、衰え、苦しみながら死に向かっていく愛する人をずっと自分の目で見続けなくてはいけない。それはとても耐え難いことだ。その葛藤があった。でも、自分はそうすることを選んだ…と。


私はこの文章を読んで涙が溢れた。まさに自分が父を介護していた時に苦しんでいたことそのものだったからだ。私の父は末期の肺癌だった。
私は父を絶対に死なせないと思っていた。様々な本を読み、様々な症例を知った。そして、必ず父を生きながらえさせてみせると思っていた。それは本当に心から思っていたのだ。しかし、目の前の父は日増しに自分で空気を吸うことができなくなり、酸素吸入の量が増えていった。様々なことができなくなっていった。何をするにも辛い父に対して私には将来のことを語り、一つ一つの作業を手伝い、様々な薬を取りに行ったり、マッサージをして眠りにつかせるしかできることはなかった。生きる力を出来る限り父に与えたいと思った。目の前の父は明らかに衰え、死に向かっている事実は否定できなかった。しかし私は絶対に諦めなかった。父が意識不明になった日も、家族がもうダメだと言っている時も、「お父さん、頑張らなくちゃ、ほら、息吸って!」と明るい声で励まし続けた。それは癌患者の本で「最後まで、意識がなくても私を中心にして考えて欲しい」というのを読んでいたからだった。後から読んだ本で聴覚は意識がなくなってからも最後まで残る事を知り、私の声が父に届いていたのだったらいいなと思った。それは本当で母が父の耳元で「お父さん息吸って!!」と大きな声で言った時、呼吸が途切れていた父が大きくスウッと息を吸ったのだ。父の最期の頑張りだった。
なんだかそんな事を一部始終思い出して、ベットの中で静かに泣いた。オーストラリアに来て父の事で泣いたのは実は2度目だ。枕がみるみるうちに湿っていく。


この本の中で、凄く心に響く文章に出会った。
エイズ患者のジミーが家田さんに語った言葉。
「人を愛するって、私は、大きく分けて三つあると思うの。まずは愛とは、その人の身に起こっていることをも全て含めて受け入れること……。つまり、たまたまその愛する人が、エイズだったとしたら、エイズであることまで受け入れて愛することね。ふたつ目は理解すること。純粋にその病気の人を愛しているならば、なぜ病気なのか、どれほどの病気なのか、理解しようと努めるでしょ?そうすればその人の痛みも心も、より解ってあげられる。これも愛。最後は、やっぱり信じることね。もし、愛する人が死ぬことを本望と考えているとしたら、その人のために逝かせてあげるのも愛。でも、もし私みたいに生きたいと切望していたら、それを支えてあげるという信念。これが愛じゃないかしら」
これはエイズに限ったことではないと思う。エイズをその人の抱えている色々な物に置き換えて考えた時に、とても重みのある言葉だと思った。夫や母や家族、友人たちを思い浮かべた。人を愛すると言うことについて考えた。
ただ私は「死ぬことを本望と考えているとしたら、その人のために逝かせてあげる」というのはできない。それは自分のエゴなのかもしれない。一瞬でもいいから長くその人に生きて欲しいと思うのは当然のことだとも思うが。


私の父は最期まで生きることを望んでいた。生きようとしていた。最期の最期まで。その姿はとても父らしかった。私の脳裏に焼き付いている病床での父の姿は衰えていたものの、生きる希望を持ち、生きようとする父だ。その父の姿を私は一生忘れないだろう。
そして私も父のように力強く生きていこうと思う。