第一弾送別会

私の渡豪に対し、9月24日、早々と送別会が開かれた。
開いてくれたのは高校の演劇部の仲間達。
会えば、いつも昔の面白話に花が咲く。話が尽きないメンバー達だ。
何度同じ話をしても面白いから、相当面白い経験をしてきたんだろう。
みんな高校時代から既に13年の付き合いになる。
あの時と変わらない姿、そして成長した姿、それぞれが今を生きているが、あの時の面影は残る。
みんなで話すと高校時代がリアルによみがえる。
高校の思い出の大半をしめるのが演劇部の存在だ。
朝練、昼練、放課後…忙しい時はほとんどが練習で授業中はしっかり寝ていた。
始発登校というのがあり、それぞれ住んでいる所によって始発が違うが、とにかくそれぞれの始発で登校して装置(大道具)などを制作する様な日も多々あった。今から考えてみれば、その「始発登校」というシステムはとてもすごく、そして面白い。青梅に住んでいた仲間は一番早く出ても、一番遅くに着くという可哀相な結果だった。
朝と放課後に練習があるので、虫歯になった時に歯医者に行けなかった。そこで、授業中に申請を出して歯医者に行ったこともある。先生に「なんでだ」と聞かれたが、とにかく「部活があるので」の一点張り。演劇部が忙しいのは高校内では有名だったので担任の先生も苦笑いしながら了承のサインをくれたっけ。授業中寝ていても免除してくれる先生もいた。
顧問の先生はとにかく恐い先生だった。
練習もとても厳しかった。
しかし、それ以外はとても面白おかしい仲間達だった。
今思い出すのは楽しかった思い出ばかり。
その面白具合を文字にして書くのはかなり難しい。
その内挑戦してみよう。


かけがいのない仲間達。
仲間達が自分のために集まってくれたのが本当に嬉しかった。
そしてプレゼントが。

「水洗便所 ジョー」というのは私のあだ名。何だか知らないが、部活に入ると一人一人半生を語らされる。と言っても15年そこそこだが。先輩達が色々な質問を出し、それを壁に貼った新聞紙にキーワードを書いていく。終わると担当の先輩に小部屋に連れて行かれ、その間にみんなであだ名を何にするか考える。変なあだ名ばかりだ。私の場合、生意気な1年生で先輩達の質問にものらりくらりと答え、ほとんど個人情報をもらさず、面白いことも言わなかった。そして、みんなで考えてもなかなか出てこない。部長だった先輩が私のイニシャルがJ.Oなのでジョーでいいんじゃない?とひねり出した。そこで余計な1年生の仲間がそれだけじゃ面白くないから「水洗便所ジョーがいいんじゃない?」とトイレに座って何故か紐を引っ張ると流れると言うゼスチャー付きのあだ名を命名してくれた。余計なことを…(笑)まぁ、しかし「水洗便所」とは呼ばせなかったけどね!(笑)仲間の中には先輩のつっこみに「行ってませんよ」と言おうとしたら噛んでしまって「言ってなません!」と言ってしまい「なまこ」という辛いあだ名になった子もいる。もちろんそれで呼ばれていた。全員変なあだ名なので、お互いのクラスに言って呼ぶ時に困ったが。


真ん中の絵は私。何故こんな顔で、こんな格好かというと…
一年生の時の演劇祭の芝居で、もっと激しい顔をしている写真がでかでかと新聞に載ったのだ。「芸術の秋…」みたいな記事で。本当に恥ずかしい写真だった。多分実家にその新聞はあると思うが…ここに載せようかと思い(面白いので)朝日新聞を検索したが出てこなかった。過去の新聞記事はどうやったら調べられるのだろうか… 
悲惨なことに、次の日、新聞に載っていることを知らずに登校し、まず部室に向かった私を待ちかまえていたのは、ただでさえ大きい新聞記事の写真を更に拡大コピーして掲示板に貼ってあった(笑)3年生の部長の指示らしい。全然名誉な事じゃないくらいひどい顔なんですけど… 記者の人はそんな顔にひかれてシャッターを押し、選んだのだろう。いつか記事が見つかったら載せよう。お楽しみに。


一人一人のメッセージがジンと来た。全員が集まった訳じゃないけれど、みんなの気持ちが詰まっている気がした。自分で言うのもなんだけど、私のことを大事に思ってくれている仲間達なんだなって心底思えた。そんな仲間達が私も大事だに出会えて良かった。そして今も関係性が続いていることが嬉しい。


これからもヨロシクね!鶴演メンバー達よ!!