命日

8月16日は父の命日だった。今年でもう2年だ。
母と夫とお墓参りに行く。お墓に着くまでは、あまり、父の命日だということで落ち込んだり悲しくなったりはしなかった。逆にそんな自分が不思議だった。
その前日に役所で待っている時、甲子園の中継がテレビでやっていて、少し涙ぐんだ。父が闘病している時、毎日一緒に甲子園を観たから。
でも、本当に当日は不思議なくらい平常心でいられた。


お墓についたら、きっと涙がボロボロこぼれるに違いない。と思っていたが、全然違った。一粒の涙もこぼれなかった。薄暗くなりかけたお墓で、父と私はビールを母は冷たいお茶を、夫はサイダーを、そして父に献杯した。私は父とビールで乾杯した。ビールはほろ苦く冷たくとても美味しかった。お墓の前に座り込んで、何とも無しに話す。2年はあっという間だったと私が言うと、母も同感だと言った。もう2年かとビックリしてしまう。闘病生活の日々が、死んでしまった日が、お葬式の日がありありと脳裏に浮かぶのに…もう2年が経ってしまったというのか。しかし、私の心持ちを考えると、やはり2年という歳月が経っているように感じる。時というのは人の心を穏やかにしてくれるものなのかもしれない。


私はオーストラリアに行く。これからの自分の人生への期待や現在の充実感が、父の死を自分の心の中の定位置にしまい込んでくれたような気がする。私は自分の人生を生き生きと、自分らしく生きようと思う。父が死んでから忘れかけていた「自分らしく生きる」と言うことを改めて、自分の理想として高く掲げたいと思う。父も真っ直ぐに自分らしく生きた人だった。私もそんな風に生きていきたいと思う。私は父から生き方をもらった。その生き方を大事に自分なりに育てていきたいと思う。


ありがとうお父さん。