孤独と自分

昨日の午前中は例の布団が私を孤独に縛り付けていた。夫は一昨日から出張でいない。前の晩に電話で話した彼は仕事が面白く、力を入れているのがわかった。だから、昨日はとても孤独で彼に電話をしたかったけれど我慢した。


しかし私は孤独の渦の中にどんどん引き込まれるばかりだった。何人かの友人の顔が浮かんだ。電話をしようかと考えた。すぐに、彼女は最近仕事が楽しくてしかも忙しくしている、彼女は自分のやりたいことをみつけて頑張っている…などと考えているうちに、自分から孤独の海にドボンと飛び込んでしまった。


孤独の時間は続いた。布団の中で自分が辛くなるような事ばかりが頭に浮かんでくる。辛い思いは連鎖していく。暖かい布団の中で私はもがいていた。布団から抜け出しても何の展望も持てないと思った。「淋しい」そう心から思った。でも自分は誰にも頼れないと思った。


「人に頼れない」「自分の弱いところを人に見せられない」私の弱点だ。自分でどんどん孤独に陥ってしまうのにはここに原因がある。そんな風に、孤独になってしまった自分をちょっと冷静に見始めたら布団にもぐっているのが嫌になった。もぞもぞと這い出る。廊下からは暖かい日が差し込んでいる。太陽の日を受けて結構元気な自分がいた。孤独な時にじっとしていてはダメなんだと実感した。だって起き上がっただけで、廊下に出ただけで少し元気になれるんだから。


そもそも孤独の正体も怪しい。自分から孤独を呼び寄せている気もする。先ほど書いた「人に頼れない」「弱いところを人に見せられない」という所が自分を孤独にするのだ。私は多分周りの人から明るい人間だと思われていると思う。自分でもそう思う。しかし当たり前だが弱い面も沢山持っている。かなり淋しがり屋だったりもする。だが「明るい私」がそれを隠そうとする。友人にバーンと自分を見せることができない。「淋しいんだ〜」と言えない。いつも「明るい自分」でいなくてはいけない気がしてしまう。それは相手を信頼し切れていないのかもしれない。いや、自分に自信がないのだろう。真の自分をさらけだして友人に受けとめてもらえるのか不安なのだと思う。


その夜は友人と夕食の約束をしていた。電車で待ち合わせ場所に向かいながら、彼女に、今日自分が孤独を感じてしまったこと、あなたに頼りたかったけど電話できなかったんだ、ということを話そうと思った。話してみたら自分の中にある何かが変わるかもしれないと思って。


彼女は私の話を聞いて、「え〜頼ってよ〜」と言った。頼って欲しいと。一生懸命になって、そんなに忙しくないから気軽に声をかけて欲しいと説明してくれた。食事しながら話す中で、私の固くなっていた心が柔らかく解きほぐされていった。互いに本音をほろほろと話すうちに、友人が私を私らしくさせてくれた。自分の内側ばかり見つめていると、時に自分が見えなくなることがある。友人と話す中で、友人を通して自分が見えたりする。周りの人々は自分を映す鏡だと思う。


孤独になった時はSOSを出そう。出せる人間になりたい。