孤独の穴

孤独の穴にすっぽりとはまりこむことが時々ある。本当は自分は孤独ではないことは分かっている。家族もいるし、友人たちもいるし、みんなの中で自分が生きていることは分かっている。でも、ふと、孤独の穴にはまってしまうことがあるのだ。淋しくて淋しくて心の中が空っぽになる。


昨日の夜寝付けなくて、色んな事を考えていた。ふと、父が死んだ日のことがリアルによみがえってきた。前日「じゃあね、また明日」と言って別れた父は、次の日の朝駆けつけた時には意識不明に陥っていた。駆けつけた家族は皆、父が死ぬと思い、そんな会話をしていた。でも私は諦めなかった。父が今懸命に頑張っているのに、周りの家族がそんなことを話していてはダメだと思った。私は父の足をマッサージしながら「お父さん、ほら頑張って!ちゃんと息して!」「頑張らなくちゃだめだよー。元気になるんだから」と声をかけ続けた。その後家族みんなで体中をさすった。血流を良くするために。もう誰も死については口にしなかった。みんながベットの周りに集まって父を中心にして父のために手を動かした。父の呼吸は絶え絶えになり、呼吸をしない時もあった。みんなで「お父さん!息して!」「頑張って!」と叫ぶように声をかけた。母が耳元で「お父さん!息して!」と声をあげた時、呼吸が止まっていた父は大きくスウッと息を吸い込んだ。みんなして「聞こえているんだよ!みんなで声をかけ続けよう!」と懸命に呼びかけた。後に読んだ本によると、聴覚は最後まで残るらしく、意識不明になっても声が聞こえている可能性があるとのことだった。しかしその直後父は呼吸をしなくなった。ナースコールで早く来て欲しいと何度も呼ぶがなかなか来てくれない。来た時には心電図のモニターを持ってきて、コンセントを入れる。ピーと一直線になった線があらわれる。医師が時間と父が死んだという事を告げた。


あの日のことは鮮明に思い出すことが出来る。まるで昨日起きたことのように。
父がこの世にいないと言うことを考えると、たまらなくなる。父が死んでしまったなんて信じたくない。私が子どもを産んだ時に父がいないなんて、弟の結婚式に父がいないなんて、お正月に父がいないなんて…考え出すと止まらなくなる。悲しみと淋しさがこみ上げてくる。
今日も起きてからベットでボーっとしていた。父のことを考えていた。何で死なせてしまったんだろう?他に何か出来たんじゃないかと思う。また、死んだ日のことや入院していた時の事が頭の中にぐちゃぐちゃになって思い出される。頭の中を猛スピードで記憶の波が駆け抜ける。
そんな時、孤独の穴にすっぽりとはまりこむ。父の死を考えるとなぜだか孤独になる。今いる家族を精一杯大事にしようと思う反面、孤独になる自分。
悲しくて淋しくて、もどかしい、そんな波が時々やってくる。父の死が結構自分の中で整理がついてきたかなと思っていた矢先にもやってくる。この波とは、もうちょっと長い間付き合わなくてはいけないのかもしれない。


こうやって自分の悲しみや淋しさや孤独を文字にしていると、もっと悲しくなってくる。涙がこみ上げてくる。一人泣きながらパソコンを打つ。どうして言葉にしたいのか。する必要があるのか。わからないけれど、自分の中だけにはしまいきれない感情の波がうねっているのだと思う。