共鳴した。

「グッバイレーニン」を観た。映画館で観たいと思っていたのにみのがしたやつだ。
ドイツの家族の話だが、息子が主人公。母が倒れて昏睡状態の間にベルリンの壁が崩壊してしい、社会はがらりとかわってしまう。東ドイツ社会主義を信じていた母にショックを与えまいと必死になる息子。嘘も方便とはこのことだという映画。主人公が母のために奔走する姿が面白くもあり、微笑ましくもあり、そして感動的でもある。

私も父が入院していたとき毎日病院へ通った。そして毎日いろんな事を語りかけた。癌の闘病記など色々本を読みあさり、「患者に、退院してからの楽しい生活を思い描かせると、患者の精神も前向きになり病状を良くする効果がある。」というのがあった。
嘘ではないけれど、将来のこと、まだどうなるか分からないことを本当にそうなるかのように父に語った。
「子どもはどうするんだ?」という父の問いかけに、「あと1年くらいしたら産みたいな。そしたら、お父さんが、隣のHさんのお父さんみたいにお散歩に連れて行ってあげてよ。」「子どもが産まれたら実家に住もうかな。その方が子育てが楽そうだし。」「それはとてもいいことだね。安心だ。」と父は言った。
弟がスキューバダイビングの資格を取ろうかなと言った。父も昔やりたがっていたのだ。父は本当に喜んで「じゃあ、お父さんがダイビングのセットを買ってやろう」と言った。私は沖縄の雑誌を買ってきて「みんなで沖縄に行って、弟が潜っている間うちらは砂浜でゆっくり沖縄の海を見てようよ。」「そうだね。みんなで沖縄に行きたいね。」と父は言った。
他にも色々な話をした。数え切れないくらい。
でも、既にこの時、父は余命1〜2ヶ月を宣告されていた。
私は絶対に諦めたくなかった。絶対に父を死なせたくなかった。絶対に生き続けて欲しかった。
だから、父に色々な話をした。
しかし、父は宣告通り死んだ。
私は父の死をいまだに受け入れることが出来ずに、もがいている。

「グッバイレーニン」の主人公の母への愛情が、私に父との闘病生活を思い出させた。その愛情はとても共鳴できるものだった。私も父を心から愛していた。死んで欲しくなかった。絶対に生き続けて欲しかったのだ。
いつかきっと父の死を受け入れることができるのだろう。でも、当分無理そうだ。