父の日


父が亡くなって、この夏で2年が経とうとしている。
でも、私は父の死から全然前に進めなくて。
ちょっとは進めているかなとも思うのだが、ふいに父の最期の時がまざまざとよみがえって号泣してしまったり、看病していたときの父との会話がふと思い出されて悲しくなってしまったり。寝ようとしている時に、父との思い出が次々と思い出されて眠れなくなったり。


父の日の昨日。
前日からお墓参りに行こうと決めていた。
もう、随分長いこと行ってなかった。
雨の中、仕事と用事を済ませて東京駅を出たのが3時半。
乗り換えの八王子駅でお花を買う。
ピンクのカサブランカと水色のデルホニウム、大きな葉のギボウシ
京王線に乗り換えて駅から歩く。
コンビニで暖かいお茶のペットボトルを一本買う。
父への差し入れ。本当はビールにしようかなと思ったのだけれど、今日は雨で寒いし。
それに父の最期の望みは「熱いお茶が飲みたい」だったから。
お墓へ行く道すがら、いつも綺麗なバラを咲かせている家の前を通る。今は挿し木にちょうどいい時期。一本枝を貰えないかなぁなどと思いながら歩く。
お墓に近づくに従って悲しい気分が増してくる。涙がつつっと出てくる。
泣きながら、お墓に到着したのは既に5時になっていた。お寺も、休憩所も閉められていて誰もいない。
お寺の入り口に毎回違う言葉が書かれている。何気なくそれを見た。


    「 過去は追わざれ
      未来を願わざれ
      今日なすべきことを
      熱心になせ     」


と書いてあった。
私は何だか虚を衝かれた思いだった。
何度も読み、この言葉は私へ向けた物じゃないかとまで思った。
そして、父にこう言われている気がした。
自分の死に捕らわれていないで、nekosiroちゃんの未来を作って生きなさい。nekosiroちゃんの未来はこれからじゃない。今日すべきことを頑張ってしなさい。もっと元気になりなさい。と父が私に呼びかけているように感じた。
その通りだなぁと思いつつも、お墓の階段を登るにつれて父への思いが高まっていく。そして悲しみの渦に落ち込んでいく。


長い階段を登って、お墓に着いた時には号泣していた。
花束をかかえ、傘を差しバックを持ち、ただただお墓の前に立ち尽くして泣いていた。
しばらく泣いた。
少しして、お花を生けてあげようと思った。父は私が生けるとすごく喜んでくれていたから。病院で嬉しそうに「nekosiroちゃんが生けると、やっぱり違うなぁ。いやね、うちの娘お花を習ってるんですよ」と同じ病室の人に言ったりしていたのを思い出す。
でも、雨で地べたは濡れていて、バックをどこにおこうか、傘を差しながら生けるのも大変だなぁと途方に暮れていると、ふと気付いて空を見上げると雨が上がっていた。
ホッとして傘をたたみ、お花を包んであった紙を敷きバックを置く。
曇った空の下で、お花を生ける。
お墓や墓誌にお水をかける。もう、雨で充分に濡れていたけれど。
お茶をビニールから出す。キャップを開けて、少しお墓に流す。そしてお墓の前に置く。


父との思い出が怒濤のように流れ出してくる。
そして、何で死んじゃったの?と思う。どうしてどうして死んでしまったの?と考える。
考えても考えても答は出ない。答えはない。ただ、悲しみだけが深くなっていく。
お墓の前にうずくまり、声をあげて泣いた。お墓は静かだった。誰もいなかった。
携帯電話を忘れて家を出たので、何時なのかわからない。
父はいない。死んでしまった瞬間から、父の存在は一切消え去った。天国だとかは信じていない。ただ、私や家族や、沢山の友人たちの心の中に存在しているとは思う。
しかし、父の骨はここにある。そう思うと、愛おしくて、悲しくて、埋まっているところを見ながら、お父さんお父さんと呼びかける。
時々、階段の方に人影を感じてハッとそちらを向くと誰もいない。何度かそんなことを繰り返しているうちに、その人影が、階段の横に鎮座する大きな桜の木の葉のざわめきだと言うことに気が付いた。
泣いているうちに、ひどく寒くなってきた。それでも、お墓を離れがたかった。父の傍を離れがたかった。
桜の木がざわつく度に、誰か来たのかと、階段の方をみやる。そのうち、桜の木が、もう帰りなさいと言っているような気がしてきた。
そしてまた雨が降ってきた。細かい霧雨が私を濡らしていく。雨も、もう帰りなさいと言っているようだった。
重い腰を上げ、涙をぬぐって傘をさす。そして、お寺の入り口に書いてあった言葉を思い出す。「過去は追わざれ 未来を願わざれ 今日なすべきことを 熱心になせ」お父さん、私もうちょっと頑張ってみるわとお墓に向かって思い、「また来るね。バイバイお父さん」と声に出す。声に出すことで、自分の心に踏ん切りをつかせる。


階段を降り、バケツを返す。時計を見ると1時間半お墓にいたようだ。
休憩所の横にも掲示板があり、言葉が書いてあった。


 「 一度きりの人生


    牡丹の花は
    毎年咲くが
    今日散った
    牡丹の花は
    今日だけのものである
    私も今
    未熟ではあるが
    自分の花を咲かせて
    生きてゐる
    一度きりの人生だと思って
    今日を生きてゐる      」


なんだか、また自分に言われているような気持ちになった。何度も読み、手帳に記す。
一度きりの自分の人生をどうやって生きていくのか真っ正面から問われた気がした。未熟でもいいから、精一杯自分らしく一日一日を大事に生きて行かなきゃと思う。
階段を降りながら、父の目に映っていた「元気なnekosiroちゃん」に戻りたいなぁと思うと、また涙が出てきた。長い階段を降り、お寺の入り口の言葉を手帳に記す。
誰かの声が聞きたかった。でも携帯電話がないので聞けない。ひどく淋しい気分だった。
でも、お寺の入り口の言葉が何だか私を励ましてくれている気がした。
帰り道、バラのお宅の前を通り過ぎる。
戻り、思い切ってインターホンを押す。「はい」と婦人の声がする。
「あのう、私そこのお寺の帰りの者なんですが、実はお庭のバラが綺麗なので、挿し木に一枝頂けないかと思いまして。」と話すと、快く前掛けをした婦人が出てきた。庭は広く畑にもなっていた。沢山の花が咲き、私の目に付いたバラは一番手前に咲いていた。「今主人が切ってくれるから、ちょっと待ってね〜」わざわざご主人まで出てきて頂き、バラをきって貰う。「いつも、お寺の帰りにお庭を拝見して、母とこのバラ綺麗だねぇって話していたんですよ」と話すと嬉しそうに婦人が「これはね、ふれ太鼓というバラでね、咲くと次々と色が変わっていくのよ」「紫陽花も持って行く?」「すみません、是非頂きます」ご主人は、「他の花も切ってあげよう」と庭の奥に入っていく。霧雨の中申し訳ないと思いながらも、「沢山お花が咲いていていいお庭ですね」「我が家の庭にも挿し木でついたバラがいくつかありまして…」などと話す。悪いので私も傘を閉じる。その間に婦人が袋を持ってきてくれて、そこに色とりどりの花が詰め込まれた。お礼を言うと「また声をかけてくださいね」と微笑んでくれた。


見ず知らずの私に雨の中苦労をいとわず、快くお花を切り分けてくれた人を前にして、私は思った。私は人を大事にしようと。人と人との関係を大事にして生きていこうと。だって、私はそのご夫婦と数分話しをしながら、お花を沢山頂いて、心がとても晴れやかになったのだった。人の暖かさを心から感じた。人の中で生きていこう。自分は決して一人じゃないんだと思った。帰りの電車の中で、膝の上の花が一杯に詰まった袋を見ると不思議と暖かい気持ちになった。私は大丈夫だ。また、つまづいたり、悲しくなったりはするだろうけれど、私は大丈夫だと思った。


お寺の入り口にあった言葉は、私は勝手に、「過去に捕らわれず、未来を考えなさい。そのために今日できることを、一生懸命にしなさい。」と言う意味かと思って、「自分にはこれからの未来がある。それを作って行かなくては。」と勇気づけられたが、今よくよく読んでみると、「未来を願わざれ」と言うのは「未来を願うな」ということか?つまり「過去とか未来とかじゃなくて今を一生懸命生きろ」ということなのかしら?勘違いにせよ、まぁいいか。


長々と書いたが、父の日にお墓参りに行って本当に良かったと思う。
悲しみは悲しみのまま、心の中にあってもいいじゃないか。それでも、私は自分の未来を見て、今を生きていこうじゃないか。そう思えた。
家に帰ると10時になっていた。長い一日だった。


お父さん、ありがとう。お父さんがいたから今の私はいるよ。