救われたこと

一昨日、一人で父のお墓参りに行ってきた。父は昨年八月に亡くなった。まだ父の死が私には整理できていない。
母が都合がつかず、でもお彼岸だからどうしてもお墓参りに行ってほしいと言うから一人で行った。正直、一人で行くのは辛すぎて家を出るのに一苦労だった。準備ができてもテレビを見たり片付けをしてみたり。一人で行きたくないなぁ、でも行かなきゃだなぁと葛藤する。母の、どうしても行ってほしいという気持ちにも答えてあげたいし。そこで、ウォークマンを聞くことにした。最近お気に入りのローリンヒルのCDをかけた。心が少し軽くなる。そのまま家を出た。音楽のおかげで、お墓までの二時間、あまり暗くなることもなくいられた。でもやはり時々父のことを思い出して泣きそうになる。そんな私を音楽がすくいあげてくれる。
お墓には一時間くらいいた。買ってきたお花を生け、掃除をする。お花は黄色いチューリップと白い小花と黄緑色が爽やかな葉を合わせた。私はいつもお墓に仏花(菊とか)は飾らない。私の中での父のイメージはオレンジや黄色など明るい色だから、いつもそんな花を飾る。父のことを思い出しながら。花に興味がある父ではなかったが、入院していた時、いつも花を持っていって生けると「ねこしろちゃんが生けるとやっぱりいいねぇ。とっても綺麗だ」と、とても喜んでくれていたのを思い出す。
父のお墓の向かいに腰を下ろす。日向でとても気持ちい。父が亡くなった日のこと、入院中私のTシャツを似合っているねと誉めてくれたこと、父が苦しみながらも最後まで頑張ったこと…どんどん思いが吹き出してくる。止まらない。涙がどばどば出てくる。「何で死んじゃったの?」と心の中で繰り返す。
日が陰ってきて、少し寒くなる。淋しさが増す。腰をあげる。また来るねと、お墓を後にする。すぐにウォークマンを聞く。ローリンヒルのメロディアスで伸びやかな歌声が私をまたすくいあげる。しかし帰り道、淋しさはつのる。一人ではいられない。夫は今日は帰りが遅い。一人では夕食も食べれない。壊れてしまいそうなくらい淋しかった。友人に電話した。仕事が終わったら夕食を食べないかと。
渋谷で落ち合い中村屋のカレーを「美味しいっ!」と連発しながら食べる。その後、漢方カフェにいく。色んな話をする。「誘ってくれて嬉しかった」と友人が言う。嬉しかったのは私の方だ。淋しくて壊れてしまいそうな時に、あなたがいてくれて。
夫と待ち合わせて帰る。今日のことを喋る。夫は疲れて途中で寝てしまう。帰り道で買った本を読む。高山なおみさんという料理研究家が書いた「諸国空想料理店」という本。食欲が刺激されて旅したくなる本。私も料理したくなる。気持ちがワクワクする。
家に帰ってから急に夫が、こっちおいでーと抱きしめてくれる。後から、何で急に抱きしめてくれたのと聞くと、なんだか心が満たされてない感じの顔してたからさ、と言う。ベットに入ってから、やはり眠れない。お墓参りや実家に帰った日はいつもそうだ。父のことを考えてしまう。「なんだか眠れないや」とつぶやくと、夫がまた抱きしめてくれる。すーと安心してうとうとして、すぐに眠りにおちる。
私は実に幸せ者だ。父が死んでしまったことは不幸だったし、その後ずっと辛い日々が続いてきた。でも、私には淋しいときに一緒にいてくれる友人や、私の気持ちを深く理解して寄り添ってくれる夫がいる。そして音楽や本がある。一つでも欠けていたら私は一日を乗り越えられなかったと思う。その一日だけでなく、私の人生においてもそうだ。あなた達がいてくれるから私は存在できる。自分の足でしっかり立っていられる。ありがとう。そう言いたい。本当に、家族や全ての友人や物にありがとう!みんながいてくれることが私を救う。感謝してやまない。