帰国日決定!!

月曜日にチケットを取ってきた。12月18日の朝6時15分に成田空港着!!のチケットだ。朝早すぎて迎えに来てもらう夫には申し訳ないが…夜つくか朝つくかしかなかったので、まぁ、タイを夜出て飛行機の中で寝るほうが体的には楽かなぁと思い決めた。チケットを取るといよいよ帰国が迫ってきたなと実感する。この時期はさすがに帰国者が多くチケットがかなり高かった。
日本に帰ったら、みんなの近況を聞くのが楽しみだ。


とりあえず、本日は報告まで。今日はクラスでプレゼンテーションがあり、「日本人」についてプレゼンして大好評だった。その模様についてはまた今度。何しろ眠いのだ。

日本への帰国について

最近「いつ帰ってくるの?」という質問が多いので、それについて今日は書こうと思う。
12月の半ばを予定している。10月31日に渡豪したので1年1ヶ月ちょっとになる。12月の頭に母親とその友人が遊びに来るのでその後に帰国予定。何度か学校で休みを取ったのでそれを消化してから帰る感じだ。まだ日にちは確定していないのだが、12月17日の週には日本に到着していたいと考えている。帰国前にタイに寄ってワットポーと言う有名なお寺のマッサージ学校に1週間通うことを決意。マッサージは本当に楽しい。


もう渡豪して1年が経つなんて信じられない。この1年あっという間だった。中身がすごく濃く、簡単には全て思い出すことができない。沢山の人との出会いがあり、そして沢山の別れもあった。オーストラリアはマルチカルチャーの国で様々な文化に触れることができている。日本人同士でも違う意見や環境の違いに触れると面白いものが、さらにこの国だと違った国、言葉、考え方、食べ物、宗教などに触れ、ものすごく有意義な時間を過ごしている。しかし同時に自分と正反対のものをどう受け入れ、共存していくのかも大きな課題となった。まだまだ人間がそこまで大きくないので、文化の違い、価値観の違いに時にものすごくイライラすることなどもある。しかしよくよく考えてみると、その国の価値観だからどうしようもないことだったりもするのだ。他人との違いを受け入れて生きていくと言うことは、どの国に住んだとしても非常に大事なことだと思う。だけれども、これがまた難しい。


日本に帰ったら真っ先にしたいことが、家族や友人・知人に会うこと。その次がお風呂にゆっくりつかること。お風呂のあとはお鍋を食べながらビールを飲むこと!! こちらは今夏に向かっている。暑いオーストラリアから寒い日本へ帰るのは少し怖い気もするが、皆さん暖かく迎えてくださいnekosiroを。
帰国日が決定したらまた報告したいと思う。


★最近の別れ…★

クラスのスイス人Christina、タイ人のPinky、韓国人のElenaが卒業。



そして、何よりも淋しいのが私の初めての先生、Fionaが学校を離れたこと。大学で教えることが決まり、急遽離れることになった。ラッキーだったのは最後の金曜日に偶然学校で会ってその事を知れたこと。最後に話もでき、メッセージも書いてもらい、写真も撮った。彼女は私の入学テストのエッセイ(日本の政治について考えていること、主にアメリカ・大企業との関係、イラク戦争について)を読んで、入学2日目に私に「nekosiro、あなたの考えに私はすごく賛同するわ!!」と話をしてくれたのだ。その時私は、国が変わっても同じ考えを持っている人は沢山いるのだなと感じ、とても嬉しかったのを覚えている。クラスが変わってからも常に私のことを気にかけてくれ、私が一時期食欲不振に陥ったときなど本当に自分の娘のように心配してくれた。最後に別れるときは思わず涙が出てきてしまい、Fionaが「nekosiro泣かないで、あなたが泣いたら私まで泣いちゃうじゃない」と泣きながら抱きしめてくれた。そして「私はnekosiroの笑顔が好きなのよ。それにお別れじゃなくて、またすぐに会えるんだから!」と泣き笑いで私の顔を覗き込んだ。この国での涙のお別れ(また会えるけれど)は初めてかもしれない。彼女には心から感謝したい。

 I Love Studying English !!!!

最近、英語を勉強するのが面白くて仕方がない。いや、今に始まったことではなく、こちらに来てから常に感じていたことなのだが、このところそれに輪をかけて面白くなってきた。理由は簡単で自分の英語のレベルが少しずつ上がってきたことにあると思う。同時に学校のクラスが上がったこともあるだろう。現在Upper Intermediateというレベルなのだが、今までのレベルと内容がガラリと変わった。また現在の先生の一人はかなり厳しいのだ。しかし、これがまた私は厳しい先生が好きなようだ。授業の進み方も今までとは比にならないくらい早く、一日に新しく知る単語の量も半端ではない。もちろん全部覚えきれずにいるのだが…最近は学校帰りに出かけるのをほとんどやめ家にまっすぐ帰り復習と宿題をする日々を送っている。朝も早く起きてまた勉強だ。もちろんたまに生き抜きもするが。こうして考えてみると生活のほとんどを勉強がしめている。ううむ。こんなに勉強しているのは高校受験以来だろうか?しかし本当に心から楽しんで、自らの要求として勉強しているはこれが初めてかもしれない。今までの受験勉強も教科によってはかなり楽しんで勉強していた。受験勉強なども親や先生から言われてしぶしぶやっていたわけではない。自分の意思でやっていた。しかし根本的に違うのは、今英語を学ぶということは自分の大本にある要求で、勉強すること自身がとても幸せなことなのだ。新しいことを吸収していくことの幸せを実感し、さらに自己表現の枠がドンドン広がっていくのが楽しい。


私の部屋の勉強机は小さいのでなかなか使い勝手が悪い。

学校では次々と友人たちが卒業していく。いまや私が一番長い生徒になってしまった。
トルコ人のSarhart。彼は寿司が大嫌いで、私がランチにお寿司を隣で食べはじめると、いつもnekosiro!と嫌な顔をしていたものだ(笑)海苔が彼にとってはかなりくさいらしい。人生を損していると言ったら、寿司を食べるくらいなら人生損したほうがましだと言われた。

ドイツ人のDaividとは短い期間だった。彼が学校初日にクラスがどこかわからずウロウロしていたのを声をかけて仲良くなった。ドイツの話になってドイツのソーセージとビールは美味しいよねぇと言ったら、ドイツには他にも美味しいものはたくさんあるんだ!!と声を大にして言っていた。名前をいろいろ挙げていたが、結局どんな料理なのかわからずじまいだが。

今の私のクラス。私のクラスは多国籍でバランスがとてもいい。この写真には全員写っていないが、タイ人1人、韓国人2人、コロンビア人3人、スイス人4人、日本人2人、イスラエル人1人、ブラジル人2人、トルコ人1人、スペイン人1人、台湾人1人(私は中国は一つという考えを持っているが、台湾出身の人々から私は台湾人です、と言わればともちろんそれを尊重する)と言った顔ぶれだ。私たちは担任が2人いて、この日はスコットランド出身のGus。


 
今週2人の生徒が卒業するので明日の授業ではパーティーをすることになっている。先生のRuthの提案だ。そして来週はプレゼンテーションがあるので今週は準備に追われそうだ。時間がいくらあっても勉強には到底たりないものだ。そして友人とあったり文化を楽しんだりももちろんしたいので、やはり時間が圧倒的に足りない。ふむ、しかし、今は自分なりに優先順位をつけて、それ以外のことができなくても仕方がないかと思えるようになっている。とにかく今は英語を勉強することが楽しいし、今が頑張りどきだなぁとも実感しているので、最優先で突き進もうと思う。しかし、友人と会うのも英語の実践の場であり、友人たちを理解したい、文化を知りたいと思うからこそ英語を勉強したいわけで、ふむ、やはり何とか両立させていきたいものだ。

BIRTHDAY PARTY 01/09/2007

一ヶ月が経ってしまう前に誕生日パーティーのブログをあげることにしよう。なかなか忙しい日々が続き書くことができなかった。記憶もあいまいになっているが、写真をもとに綴るとしよう。しかし時間がないので、簡単に。雰囲気だけでも伝わるといいのだが。


6時過ぎから友人たちが次々と我が家のリビングに集う。みんなそれぞれのドリンクを持ってくる。BYOという形式でBring Your Ownの略。みんなまじめに、飲み物にも食べ物にも手をつけずに歓談している。いちいち私が紹介しなくても、それぞれ勝手に自己紹介をして話し出すので楽だ。ふと気づくと、友人Kimの犬GELFがリビングを横ぎっっている。あれ???まだKimは来ていないのに???と思いつつ、思い当たり表に出てみると、Kim,Christian,Nickが自転車で到着したところだった。ほとんどのメンバーが集まったので、そろそろパーティーを始めたいなぁと思うのだが、はて、どう始めたものか…準備を手伝ってくれていたAndreaに「どうしたらいいかしら?」と聞くと、すかさず彼女が「みなさーん、どうぞ食べてくださいー」と言い、なんとなくパーティーが始まった。日本食は好評だったけれど、私の中では今までに作ったことのない不出来でショックだった。


学校の友人は4人、そのうち3人がブラジル人だった。夫婦で来ているVivianとMalceloがプレゼントをくれた。白い大きなビニールの中から出てきたのは、大きなコアラ!!これには大爆笑。オーストラリアにおいて外国人だからこそ選べるプレゼント!!小さなコアラをお腹に抱いている。写真の真ん中のFabianは日系3世ブラジル人。彼女は日本語は話せないので、私たちが英語で話しているので、みんなから、あの子はどこの国出身なの?と聞かれる。


Andreaは日本語が大好き。とてもチャーミングな女の子。料理好きで、世話好き、パーティー成功のために頑張ってくれた。コロコロと笑う彼女はとても可愛い。

Markは日本に20年住んでいたので日本語がペラペラ。ペラペラなため、日本語を話したくてしょうがない!というのはないので、英語で話してくれる。私があまりに理解できないと日本語で解説してくれる。この写真は、「じゃあ日本式に写真を撮ろう!」と言って、ピースを作って「イェーイ」と前に手を出したので、「何が日本式だよー」と大爆笑してしまった。

Christianが写真を撮ったのだがNickが目をつぶったため、「もう一枚!目をつぶらないで!」と言われたので目をしっかりとつぶってみる(笑)

サングラスをしているJamesはなぜに体育座り第2をしているんだろうか???渋すぎる(笑)Timは私の誕生日の前日が誕生日だった。歳は10歳違うけれど。彼は大きなチョコレートケーキを持ってきてくれた!!!Thank you Tim!!!

Melbourneで一番長い友人Alexは、私が学校に入学したときの始めてのクラスで一緒だった韓国人の男の子。アフリカの血が入っているRizと意気投合していた。何故なら彼が韓国語が少し話せる、かなり面白い人物だからだ。

Gregは現在私が日本語を教えている生徒!!!!! まじめに復習をしない生徒だが、授業はとても楽しく進む。いつもマラソンのし過ぎで足が痛くなっている人だ。スキーが大好きで北海道にスキーに行くくらいだ。

学校の先生のMatthewと彼のシェアメートのMonica。黄色いガーベラとユリの花束をくれる。黄色が私のイメージカラーだそうだ。

歓談するみなさま。

ああ、また時間がなくなってしまった。なんだか人物紹介だけになってしまった…Next Time!!! さていつになることか。もっと、誕生日で感じたことなどを次は書きたいと思う。それでは、また。

Happy Birthday!!

9月1日に29歳の誕生日をここ、メルボルンで迎えた。誕生日の始まり、つまり00:00は友人のバーを手伝う仕事から始まった。誕生日を仕事場で迎えるなんて!やっぱり働くことがすきなんだなぁ私…と思う。0時をはさんで複数のメッセージが携帯に届く。「ああー誕生日を迎えたんだなぁ。と静かに一人クロークルームの前に座って、シャンパンを飲みながら思う。お客さんの一人がシャンパンボトルを5本入れたのだが、なぜかクロークルームに半分入ったボトルを忘れていってしまったのだ。マネージャーに言うと、これ1本120ドルするおいしいのだから、飲んでいいよと、シャンパングラスにイチゴを刺して持ってきてくれたのだ。シャンパンを飲むと口元にあるイチゴが甘酸っぱい香りを放つ。とても幸せな気分になる。しばらくすると、オーナーの一人がバーの中から現れ、ニコニコ笑っている。何事かと思いきや、友人のマネージャーが花火が二つパチパチと光るチョコレートケーキを運んできた。「Happy Birthday Nekosiro!!」とHugとKissをしてくれる。バーの中からはダンスミュージックと踊る人々の熱気があふれてくる。「この花火、フーってロウソクみたいに吹き消すの?」と真面目に聞いたら大笑いされた。そんなはずはない…静かに3人でお祝いする。ケーキを切り3人で食べる。それからもとの仕事へそれぞれが戻る。普段は3時くらいに仕事が終わるのだが、この日お客さんが少なく、クロークルームを1時半に閉めることができた。中に入ると何人かのスタッフが「nekosiro Happy Birthday!!」とやはり、HugとKissをしてお祝いしてくれる。Nadiaが「nekosiro何飲みたい???」と聞くので、「じゃあNadiaのお勧めを作って!」と頼むと、わかったーとライチのカクテルを作ってくれた。数人のお客さんがスタッフと私の会話を聞いていて「Happy Birthday!」といきなり言われたりもした。仕事を終え家で爆睡すること5時間。


11時に起きだし、友人に車を出してもらいQueen Victoria Marketに行く。Birthday Partyの準備のためだ。大量の野菜と肉、魚を買う。コーヒーを飲みながら休憩している人たちを見やる。なんだか何もかもが幸せに見えてくるから不思議だ。友人に「私、今とっても幸せな気分なんだけど。子どもを見たら幸せな気分になるし、犬を見ても幸せな気分になるし、そこで話している年配の人たちを見ても幸せな気分になるよ!」というと「それは、とてもいい誕生日を迎えたね」と言われた。天気も素晴らしく、「ああ、天気までも私を祝ってくれているのね」と一人思う。買い出しを終え家に帰ると、シェアメートが3人集まって♪Happy birthday to you♪と歌ってくれてプレゼントをくれた。この日は彼女の親友の子どもの誕生日でもあり、子ども同士も仲良しなので、彼らはその子の誕生日会に行くことになっていたのだ。彼らが出かけると、静かな時間が訪れた。キッチンに大量のビニール袋を運ぶ。

               

春の訪れを感じさせる暖かな日差しがキッチンに入り込む。その日差しを受けながら一人音楽を聴きながら料理を作る。とてもとても静かな時が流れる。この静かな時間がとても幸せだなぁと思う。何人かの友人から準備を手伝おうかと言われたのだが丁重に断った。料理はよほど気心知れた人でない限り、または不可避な場合を除いて、一人でやったほうが楽なものだ。一人パーティーの準備をしながら自分の人生や家族、友人について考える。もくもくと手は動かし続けながら。しかし、いつものように時間が足りなくなる。私はいくつになっても時間までにきっちり準備を終わらせることができない人間なんだなぁと少し落ち込みつつも、自分を励ましラストスパートをかける。紙皿とフォークを買うのを忘れたことに気づき、今度は違う友人に電話して、それらを調達して、なおかつ早めに来て手伝ってほしいとお願いする。「OK BOSS!!」という返事だったのだが、なかなか来ない。しかしここはオーストラリア。時間なんてあってないようなもの。みんな時間通りにはこない。友人に手伝ってもらいながら巻き寿司を作っているとチラホラと友人たちがやってきた。なんだかもう、食事を作る気が失せてしまって、珍しく、途中でリタイヤ。すでに出来上がっているものが大半だったので、みんなとおしゃべりを始める。もちろん、主役が私なので、一人友人が来るたびに「Hello」から始まり「Happy birthday」そしてHug,kiss、プレゼントとなるので料理を続けられないのだ。

ああ・・・もう学校のコンピュータールームが閉まってしまうので、続きはまた今度。

月食と最近の私

今日は月食=lunar eclipse。学校を終えてスーパーで買い物をしてからトラムに乗り帰宅。トラムを降り道を渡るために左側に振り向くと、そこに大きな丸い月が横たわっていた。あまりに美しくて驚いた。道を渡ってから少し見つめてから、今まで話していた友人はこの月を見ただろうかと電話をすると「あー今日はlunar eclipseだからね。まだ見てないからcheckするよ。」と。家に帰ってから料理をしてると、シェアメイトが「nekosiro月みた?」と聴いてきた。「うん見たよ〜すごく大きくて綺麗でビックリしたよ〜」と話すと、彼女もまた「今日はlunar eclipseだからね〜」と色々話してくれた。「ところで何時に月は全く消えるのか知ってる?」と聴くと、「あと15分くらい。で、1時間後にまた戻ってくると思うよ」とのこと。料理を続けていると、そろそろ月が消える時間だと彼女が娘たちを連れて裏庭にでてワーワー騒いでいるので、私も思わず跡を追う。5歳のRudyは月が低い所にあるので見えないらしくLizzliに抱きかかえられ、彼女自身もビールケースの上に登っていた。Loxyの姿が見えないと思いきや、洗濯物干しの上に登って空を仰いでいた。私も一生懸命背伸びするが見えず。「nekosiro!!もう一つケースがそこにあるから、その上に登りな!!」と彼女が指さす。登ってみると空が青白く光っていて、月は既に見えず雲が少し見えるだけだった。しばらく4人で見ていたが、彼女が「あとは全く消えて次に月が出てくるまでは何もおこらないから、このまま見ていても退屈なだけだから、ちょっと休憩」と。Roxyが「何時に月が戻ってくるの?」と聞く。彼女が大体の時間を告げると「じゃあ20分ごとに月を観察するから、20分ごとに呼んでね!」と言ってテレビの前に戻っていった。しばらくして外に出てみると、空は全く光が亡く真っ暗になっていた。Lizzliが「nekosiroは月食を見たことある?月食ってcoolだよね〜」と聴くので、日本であるよと話すと、彼女はインドでビーチで音楽のパーティーに参加していた時に見たという。なんてcoolなんだ!!!


さて、最近の私は…なかなか忙しく生活をしている。学校で勉強することが本当に楽しく、家に帰ってからや、早めに学校に行って図書館でなど1日2〜3時間勉強をしている。それでも時間が足りないと思う。学校が1日4〜5時間だから、1日の大半を勉強して過ごしていることになる。だからといってペラペラに英語が話せるわけではないので誤解しないで欲しいのだが(笑)


先日、友人がマネージャーをしているバーを手伝った。クローク係だったのだが、その土曜日は沢山のパーティーがあり、バーは大忙し。若いドレスを着た女の子たちがぞろぞろと入ってきた。一人の女の子がタスキをしていて、そこに何か書かれていてピカピカとライトが光っている。私が「バースディーパーティー?」と聴くと、一人の女の子が「この子がもうすぐ結婚するの!!」と嬉しそうに話してくれた。同僚が「これはHens Partyと言って、結婚する前に女の子は女の子だけで、男の子は男の子だけでパーティーをするの。」と話してくれた。ああ、そう言えばセントキルダのフェスティバルの時に見かけてNickが説明してくれたっけと思い出す。Hensは雌鳥の意味。なんとこの日は4つもHens Partyがあった。同じ様なタスキをした女の子が4人もいて、見ていてとても面白かった。沢山の女の子とたちがデビルのヘアバンドと手にデビルのヤリのようなものを持っていたので、どうして彼女たちはそうしているのかと同僚に聴くと、ようはこのパーティーの意味は結婚前に結婚したらできなくなる遊びを最後にみんなで楽しもう!という意味があるらしい(笑)男の子たちはストリップなどにみんなで繰り出すグループもあると話してくれた。面白い文化だなぁと思う。


今週の土曜日、9月1日は私の29歳の誕生日だ。バースディパーティーを家で行うべく、この間準備を進めてきた。と言っても、誰を呼ぶか考えて招待をしたり、食事を何を作るか考えたりしているだけなのだが。私もオーストラリアの友人たちにならって家で行うことにした。今のところ20人弱の友人が来ることになっている。小さな家なのでどうなるか心配だが、とても楽しみでしょうがない。5時からスタートの予定で、それまでは、朝からビクトリアマーケットに買い出しに行き、大量の日本食を作る予定。音楽は何をかけようかとか、裏庭に荘子にあるテーブルと椅子を出そうとか色々想像が広がる。
この間クラスでや友人と年齢について話す機会が多く、もうすぐ29歳になるからエキサイティングしてるんだ〜と話すと、大抵驚かれる。まずは年齢のこと。みんな私がもっと若いと思っていたので驚く。そして私が歳をとることを喜んでいることにまた驚く。どうして嬉しいの?私は歳をとりたくないよ〜今で止まりたいと20代前半の子たちに聴かれるので、「いや〜だって、1年ずつ色々な経験ができて、一回り自分の人間性が大きくなるんだよ。もっと魅力的な自分になれるなんて考えただけで楽しそうじゃない?」と話すと、みんなフーンと色々考え出すが信じられないという顔。「例えば22歳の時に考えられなかったこと、答えが出なかったことが、今になって深く考えることが出来たり、答えが出ることが沢山あるんだよね。それは自分が沢山の新しい経験を積んで来たからだと思うんだ。」と話すと、みんな納得するが、それでも女の子たちは歳はとりたくないな〜と言う。中には「そうか!私もそう考えるよ!!ありがとうnekosiro」という子たちもいる。中には、こんな人に始めて会ったよ!感動した、ありがとう。と言う子もいる(笑)「28歳は楽しいよ〜だから、歳をとることを恐れないでね」と私よりも若い子たちに語るnekosiroであった。

父の命日

本日、8月16日は父の命日だ。今年で3年がたつ。
今の今まで、私はその事実をすっかり忘れていた。昨日が終戦記念日だと言うことも知っていたし、その事をクラスで数人のクラスメートと話していたにも関わらす、今日が父の命日だと言うことを思い出さなかった。
今、学校の復習を終えてから、英語で日記を書いていた。先生が添削してくれるのだ。たまたま「孤独」をテーマに書いていて、今までの人生の中で特に父が死んだ時、その後にもの凄く大きな孤独感を味わったと書いた。ふと「お父さんが死んでしまってから、もう3年経つのかなぁ?」と思い、次に「あれ、いつ死んでしまったんだっけ?」と考え始めた。すぐには思い出せなかった。今使っている手帳のページを繰りながら、しばし考えた。確か特別な日の次の日だった…ハッと気付く。終戦記念日の次の日だと。そして次の瞬間、昨日が終戦記念日だったと思い出す。と言うことは…今日が父の命日ではないか!と驚いた。


私は父の命日を忘れてしまっていた自分に少し動揺し、大きく驚いた。父の命日、死んでしまった日を忘れてしまうなんて、今までの人生の中で一番辛い日なのに…という思い。しかしその後に訪れた気持ちは、自分が父の命日を忘れてしまうくらい、今、父の死から自分が立ち直っている事を実感した。父の死でポキンと折れてしまった私の中の生きる歓びが、少しずつ回復していたと思っていたら、今や真っ直ぐ伸びているではないか。今の忙しく充実した生活の中で、父の死というものが重くのしかかってくるものではなく、自分の中に自然と存在し、空気のようにいつもは見えないけれど必ず存在するような、そんなものになっているのだと思った。


もちろん今でも父の死を考えたり、共に過ごした闘病生活、亡くなった瞬間やお葬式などを思い出すと胸が締め付けられる。まさに心臓をぎゅっと握りしめられる感じだ。今日が命日だと思い出し、様々なことが脳裏を駆けめぐり、少しの間涙した。つい最近も他のことでとても悲しいことがあって、色々な事を考え出した途端、父の死がよみがえり涙したことがあった。父の死はやはり今でも、とてつもなく悲しい出来事だ。
クラスの授業のなかでや友人の間で父や母、夫や兄弟のことを話す機会が沢山ある。父のことを話す時は誇らしい気持ちと共に、そこはかとない悲しさが私の心に芽生える。もちろん表にはその気持ちは出ないけれども。またクラスメートが両親のことや父親のことを話していると、心から羨ましくなる。両親が健在しているという幸せに。
しかし、父の死というものが自分の中でハッキリと受けとめることが出来、なおかつ父の死を認め、亡き父の事を普通に話すことが出来るようになったと思う。私の父は既に死んでしまっているけれど、新たに私の父のことを知る人がドンドン増えている。私の口を通して。死んでしまい、その身体、存在がこの世の中から消えてしまっても、こうやって父の存在は私や家族、父の友人たちの中で、そして一回りも二回りも確実に生き続けるんだなぁと実感する。父は死んでからも多くの人に語り継がれるような大きな人だった。私はこれからも父の事を語り継ぐだろうし、父と共に過ごした日々を自分の糧にして生きていきたいと思う。


今私の心はとても穏やかな気持ちで満たされている。